『浮世柄比翼稲妻』名古屋浪宅の場

名古屋山三は浅草鳥越の裏借家に住んでいる。
そこに借金取りが押しかけている。
呉服屋、小間物屋、縫箔屋が来ている。山三が吉原のおいらん葛城太夫に着物や装飾品を贈ったから、それぞれ二、三十両の借りがある。
米屋、酒屋もきている。
家主も溜まった家賃の催促にきている。
雨が降りだして、雨漏りがはじまる。借金取りたちは、傘を差したり、ありあわせの壺や桶をかぶったりする。
「雨漏りをとめないと、容赦しないぞ」
と山三におどされた家主は、たらいを探し出してきて縄で天井から吊り下げ、山三の雨よけにする。山三はたらいの下で横になって寝てしまう。
山三が眠り込むと、家主は下女のお国を口説きはじめるが、お国は山三を慕っているので、いうことをきかない。

借金取りたちが取り立てをあきらめて引き上げていくと、入れ違いに
「泥棒、泥棒」
という声に追われて、男が借家に飛び込んでくる。
見ると、お国の父親・又平である。風呂屋で置き引きをして逃げてきたのだが、年寄りのことだから許してやってくれとお国が懸命に頼んで、勘弁してもらう。
騒ぎに目をさました山三が、葛城太夫に会いにいくから衣装を用意しろとお国に命じる。質入れしてある衣装を受けだすために、お国はあれこれ算段して質屋に向かう。

山三が出かける前に葛城太夫がさきに会いにくる。若い者、禿、芸者、太鼓持ちなどを引き連れて、狭い借家いっぱいに上がり込む。
いろいろあって葛城が引き上げると、お国が質屋からもどってくる。
お国と話すうちに、慕われていることに気づいた山三は、お国を隣の部屋に引き入れて抱く。

山三と情をかわしたばかりのお国に、父親の又平が、
「頼みたいことがある。かならずきいてもらわなければならない」
と言って、二人は誓いの盃をかわすが、誤って毒酒を飲んでしまう。じつは、又平は山三の敵と通じていて、お国に山三を毒殺させようと用意した酒だった。
二人が毒に苦しんでいるところに山三があらわれ、葛城太夫に会いに出かけるからとお国に支度を手伝わせる。
山三 ついしたことの戯れに、思わず今宵は新枕。真実そなたを宿に残して、
お国 お気のむすぼれ、移るは廓の、
山三 あの葛城は一夜妻。うちに残すは宿の妻。今より女房と、
お国 ええ、ありがとうござりまする。どうぞ末々。
山三 おお、未来永々。
山三が出て行くと、お国はその場に落ち入る。

以上が、鶴屋南北『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなずま)』のうち「名古屋浪宅の場」のあらすじ。ト書きを見ると、山三はお国が死ぬのを承知で出かけたように読める。一度抱いてやったのだから本望だろうくらいのことか。
このあとが、独立して上演されることの多い「鞘当」、名古屋山三と敵の不破伴左衛門が吉原でやりあう場になる。お国のことなどすっかり忘れ去られて演じられる華やかな一幕。

男同士の相合傘


- Actors Sawamura Tosshô II as Hosokawa Katsumoto (R) and Ichikawa Sadanji I as Marigase Shûya (L) | Museum of Fine Arts, Boston

浮世絵のことはおいて、まず第2次大戦後まもない時期のディック・ミネのヒット曲から。

花のホールで 踊っちゃいても
春を持たない エトランゼ
男同士の 合々傘で
嵐呼ぶよな 夜が更ける
   ──島田磬也作詞「夜霧のブルース」

「地獄の顔」という映画の主題歌だという。見てないから、相合傘の場面があるのか知らないが、歌詞の読み方しだいでは男同士で踊ったかのようでもあって、かなりホモっぽい。これに限らず、男同士の友情や敵対を描いたものには、ホモ的気分がただようもので、

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
   ──西條八十作詞「同期の桜」

西條八十の元詞が民間で歌われるあいだに歌詞が増殖したとされるこの戦時歌謡にも同じにおいがある。 やはり戦前のヒット曲で東海林太郎が歌った次の曲にも、

男ごゝろに 男がほれて
意気がとけ合う 赤城山
   ──矢島寵児作詞「名月赤城山

とあり、意気がとけ合うだけならまだしも、「意気」が「息」に聞こえたらかなり激しい。

歌舞伎で男同士の友愛や敵対を描いたものでは、
「おわけえの、お待ちなせえ」
「待てとおとどめなされしは」
の応答が見せ所の幡随院長兵衛と白井権八の出会いを描いた「鈴ケ森」、吉原中之町で名古屋山三と不破伴左衛門がやりあう「鞘当」が有名。
後者の「鞘当」では、仲裁に入った茶屋女房のすすめで、(なぜか)二人がたがいの刀身を取り替える。すると腰の鞘はそのままに、相手の刀がぴったり自分の鞘におさまるのだが、これを男色の隠喩と見たら曲解だろうか。もともと歌舞伎という演劇が、男が女を演じるという倒錯的基盤に立っていることを思えば、これくらいの深読みは許されるのではないか。
前者の「鈴ケ森」も、任侠映画における同士愛などを思い起こせば、同性愛的なものを感じ取たっとしても、まったくの見当はずれではないだろう。

後回しになったが、上にあげた浮世絵は由比正雪の事件を題材にした河竹黙阿弥作『樟紀流花見幕張』(くすのきりゅう はなみの まくはり)の一場面。
正雪一味の丸橋忠弥が酔ったふりをして江戸城の濠に石を投げ込み、水の深さを探っているところに、老中の松平伊豆守が傘をさして登場し、忠弥のうしろから傘をさしかける。自分に雨の降りかかってないことに気づいた忠弥がふりむくと、いかにも幕府高官かと見える衣装の人物がそこに。このあとの二人の笑いが、なかば意味不明で微妙。

忠弥 むむ。(ト笑いかける)
伊豆 はは。
両人 むむ、ははははは。(ト両人にったり笑い、忠弥生酔いの思い入れにて、)
忠弥 ええい。(トわざとよろよろと下手へ行く)
伊豆 こりゃ、その方は何をいたしおる。
忠弥 あんまり犬が吠えますから、石をぶっつけておりましたが、生酔いのことでございますから、当たりましたらご免なさいまし。

顔をあわせたとたんに二人は笑い出す。いったいどんな思いをこめた笑いなのか。この時点で伊豆守は忠弥の行動を怪しみ、忠弥は疑われたことを察している。とすれば、これはたがいに本心を隠すためのごまかし笑いなのだが、裏からいえば双方の気持が通じあったということでもある。やはりこの場面からも男色的気配を読み取ってもいいのではないか。敵対関係にあるのだから、逆同士愛とでもいうものだが、そのような関係を短い笑いで描き出したのが、この場面なのだと思う。

なお、上の浮世絵で役名が「細川勝元」になっているのは、政治問題を取り上げることを禁圧した幕府の文化政策をくぐるため、劇の時代背景を室町時代に移して老中のかわりに管領をもってきたからで、また「鞠ヶ瀬秋夜」とあるのは「丸橋忠弥」と音をかよわせたもの。上演されたのは明治に入ってからで、幕府の意向を恐れる必要がなくなっていたから、丸橋忠弥、松平伊豆の実名で演じられた。

大商蛭小島

正木幸左衛門という人物が伊豆の下田で手習いの師匠をしている。
その女房おふじはとても嫉妬深いという。
(奥さんが嫉妬深いのか、たいへんだな、正木という人も)
幸左衛門の留守に、おますという娘が訪ねてきて、弟子になりたいと申し入れるが、女房おふじは、
「こんな美しい娘を弟子に取るわけにはいかない」
と追い返してしまう。
(いや、たいへんなものだ)
やがて幸左衛門が帰ってきて、弟子たちに習字の指導をはじめる。
弟子たちはどれも年頃の娘ばかり。
幸左衛門は一人ひとりに手を添えて教え、さらには旅行に誘ったり、抱きついたり、いつまでも生娘でいるものではないと口説いたりする。
(いやいや、話が違うではないか。これでは女房がヤキモチを焼くのも無理はない)
様子をうかがっているおふじは、ますます嫉妬をつのらせる。

正木幸左衛門、じつは伊豆に流謫中の源頼朝
女房おふじ、じつは伊藤祐親のむすめ辰姫。
弟子入りを志願してきたおますは、北条時政のむすめ政子。

その後いろいろあって辰姫は頼朝をあきらめ、政子と結ばれた頼朝は平家打倒の兵を挙げる。めでたし、めでたし。

以上が桜田治助「大商蛭小島(おおあきないひるがこじま)」のごくごく大雑把なあらすじ。歌舞伎座で上演中。松緑演じる幸左衛門=頼朝が娘たちにしなだれかかるくだりは、いやらしいけれども、しつこすぎず、気楽で脳天気な人物を見せている。