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芭蕉が読み違えた其角の秀句

これも『猿蓑』の句。明治の俳人内藤鳴雪が「其角集中第一等の傑作」と評したという。

この木戸や鎖のさゝれて冬の月  其角

「鎖」は「錠」と同じ。したがって中七の読みは、ジョウノササレテ。
其角はこの句の下五を「冬の月」とするか「霜の月」かで決めかねていたが、師の芭蕉は悩むほどの句ではあるまいとして「冬の月」に決めて『猿蓑』に採録した。
ところが、『猿蓑』が印刷工程に入ったあとで、「鎖のさゝれて」が『平家物語』を踏まえていることに芭蕉は気づく。左大臣の徳大寺実定が遷都先の福原から京の旧御所をたずねたくだりに「禁門は鎖のさゝれて候ぞ」とあり、ならば「この木戸」は城門でなければならず、句の描く光景は雄大なものとなる。
じつは、この句の初稿では「此木戸や」と漢字が使われていて、芭蕉はこれを「柴ノ戸」と読み違えた。縦書きで「此」に「木」が続けば、「柴」に見誤るのはありうることだが、わびしさの例えにも使われる柴の門と御所の総門ではまるでおもむきが異なる。芭蕉がこの違いに気づいたのは旅先の大津でだったが、

柴戸にあらず、此木戸也、かゝる秀逸は一句も大切なれば、たとえ出板に及ぶともいそぎ改むべし

と手紙を送って改版を命じた。たとえ出版後でもやり直せというのだから、『猿蓑』中でもこの句を重いものと見たことがわかる。
句の成立事情は、其角の没後にその弟子が編んだ俳諧集で伝えられ、友人と酒を飲んだ其角が家路をたどる途次、市ヶ谷に至って詠んだものという。市ヶ谷には江戸城の市谷御門があった。

その城門が、折柄月下にぴつたり屹立してゐたのである。それは威圧が直ちに美しさにもなつてゐる不思議な景であつた。
──荻野清『猿蓑俳句研究』