石斑魚

建州に石斑魚という魚がいて、好んで蛇と交わる。
南方の土地では、蜂の巣を除去するのに石斑魚を用いる。蜂が巣をかけた木のそばで石斑魚を焼き、竿の先に付けて魚の影が巣の上にかかるようにすると、たちまちツバメほどの大きさの鳥が数百羽も集まって巣をつつく。巣は砕けて葉のように落ち、蜂も全滅する。

以上、『酉陽雑俎』巻十七にある話。
日本では「うぐい」に「石斑魚」の字をあてるが、Wikipedia によれば、

日本語で「石斑魚」はウグイを意味するが、香港では「石斑魚」(広東語 セッパーンユー sek6baan1yu2)はハタの意となる。中国語でウグイは、三塊魚または珠星三塊魚と書かれる。

というから、中国の「石斑魚」と日本の「うぐい」は別物か。

資料:
- 酉陽雑爼 3 (東洋文庫 397) | Amazon
- KR3/KR3l0125 西陽雜俎-唐-段成式.txt at master · kr-shadow/KR3 · GitHub

二世澤村四郎五郎メモ

鶴屋南北『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』の冒頭、瀧夜叉役で出た澤村四郎五郎の台詞。

いささか望みあるゆえに、向かい町からはるばると忍び今度の顔見世に出世のツルとものした剣、うぬらに渡していいものか。邪魔だてせずとすみやかに、道おッぴらいて通すまいか。

画像データベースの付帯情報から拾った澤村四郎五郎の出演記録。
1810(文化07年03月) 市村座 八田平(楼門五山桐) (早稲田演博
1811(文化08年09月) 市村座 すしや弥左衛門(義経千本桜) (早稲田演博
1811(文化08年09月) 市村座 弁慶(義経千本桜) (立命館ARC
1812(文化09年09月) 市村座 時平公(菅原伝授手習鑑) (早稲田演博
1812(文化09年09月) 市村座 春藤げんば(菅原伝授手習鑑) (早稲田演博
1813(文化10年01月) 森田座 奥女中山の井(例服曽我伊達染) (早稲田演博
1813(文化10年04月) 森田座 三五兵衛(五大力恋緘) (早稲田演博
1824(文政07年01月) 市村座 寺岡丙右衛門(仮名曽我当蓬莱) (早稲田演博

『戻橋背御摂』は文化10年11月、市村座の顔見世公演。上の出演記録とあわせると、四郎五郎は一年間森田座にいて、このとき市村座にもどったか。台詞に「向かい町」とあるのは、森田座のある木挽町を指す。
べつの役者の台詞に、「向かい町」と「隣り町」があり、それぞれ葺屋町の市村座から見て離れた場所にある森田座、および隣接する堺町の中村座の意味で使われている。

Wikipedia にある二世澤村四郎五郎の略歴。
三代目澤村宗十郎の女婿、?–1832。
役者名は、荻野東蔵 → 澤村東蔵 → 二代目澤村四郎五郎 → 澤村東十郎 → 二代目澤村四郎五郎 → 澤村しやばく → 二代目澤村四郎五郎
屋号は川滝屋。

頼光四天王は境界の守護神

源頼光に従った「四天王」、渡辺綱(わたなべのつな)、卜部季武(うらべのすえたけ)、坂田公時(さかたのきんとき)、碓井貞光(うすいのさだみつ)は、土地の境界あるいは現世と異界の境界の守護神的な人物という説。以下、齋藤慎一『中世を道から読む』による。

渡辺綱は、淀川河口の渡辺を本拠として水運にかかわった渡辺党の祖とされる。渡辺という土地は、平安京から淀川流域において祓われたすべてのケガレが難波の海に流れこむのを見届ける重要拠点であり、境界に関係する人物として渡辺綱に着目できる。
主人の源頼光についても同様のことがいえる。頼光の屋敷は鬼の名所である一条戻橋の東詰めにあり、ここもケガレを流しこむ祓所であった。

卜部季武は、美濃国のある渡しで妖怪の産女(うぶめ)と渡りあったと『今昔物語集』に伝えられる人物。この伝えも渡し場という土地の境界にかかわる。
足柄峠に結びつけられる坂田公時(おとぎ話の「足柄山の金太郎」)、碓氷峠とかかわる碓井貞光(大蛇退治の伝説などが残っている)の二人は、いずれも京都から東国へむかう代表的な二つの峠に関係している。

頼光が四天王をひきいて酒呑童子を討った伝説も典型的。境界の魔所である大江山での鬼退治は、境界の守護者としての頼光一党の位置づけを反映している。