2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『四天王楓江戸粧』一条戻橋の場

袴垂の安(はかまだれのやす)を名乗る男娼が、 アゝ、寒い晩だワ。アゝ、人間は心がらだ。誰あろう平井の保昌が弟平井の保輔ともあろう侍が、どういうことか刃物を見ると、そぞろ髪の立つほど恐ろしくて、いまいましい病。(…)兄保昌が、役に立たずと見限…

相合傘小史

「パリの相合傘は19世紀前半からか」と前のエントリーで書いた。では、日本はいつごろからか。 だんとつに早い例は次のもの。ただし、これが相合傘のことならばだが。 君と我、南東の相傘で、逢はで浮き名の立つ身よの - 小野恭靖「『隆達節歌謡』全歌集」 …

パリの相合傘、はじまりは19世紀前半か

1910年にパリで発表された『広い襟ぐりとあげ裾』の一節。(『パサージュ論』第1巻から孫引き) 今やもう扇子ではなく、傘である、まったく国民衛兵的国王の時代にふさわしい発明だ。恋の戯れに好都合な傘! 目につかない物陰がわりの傘。 男女が人目に隠れ…

いそがしや沖の時雨の真帆片帆

これも『猿蓑』巻之一から。 真帆(まほ)は順風を受けて走るときの帆の張り方、片帆(かたほ)は横から風を受けて進むときの傾けた張り方。 ふいの時雨(しぐれ)に見舞われた舟があわてている。上五の「いそがしや」は孤舟よりも舟群を思わせ、そう解釈し…

女と同じ、ばかな奴らだ。

秀吉死す──。伏見城から流れだした知らせに接して、豊臣秀吉晩年の悪政に苦しんでいた民のあいだに歓声が広がっていく。太閤の死を見とどけた徳川家康は、ひとり城頭にのぼってその声を聞く。 家康は、よろこびにどよめく暗い下界を見わたして、苦っぽく笑っ…

歴史を個人のドラマに置き換えること

明智光秀の母さつきは、主君織田信長を討った息子の非道を恥じて館を捨て、尼ケ崎の庵室にこもっている。 そこに旅の僧をよそおった羽柴秀吉がたずねてきて、一夜の宿を乞う。 その秀吉を光秀が追ってくる。秀吉が風呂に入ったのを察して光秀が風呂場に槍を…

『浮世柄比翼稲妻』名古屋浪宅の場

名古屋山三は浅草鳥越の裏借家に住んでいる。 そこに借金取りが押しかけている。 呉服屋、小間物屋、縫箔屋が来ている。山三が吉原のおいらん葛城太夫に着物や装飾品を贈ったから、それぞれ二、三十両の借りがある。 米屋、酒屋もきている。 家主も溜まった…

男同士の相合傘

- Actors Sawamura Tosshô II as Hosokawa Katsumoto (R) and Ichikawa Sadanji I as Marigase Shûya (L) | Museum of Fine Arts, Boston 浮世絵のことはおいて、まず第2次大戦後まもない時期のディック・ミネのヒット曲から。 花のホールで 踊っちゃいても …

大商蛭小島

正木幸左衛門という人物が伊豆の下田で手習いの師匠をしている。 その女房おふじはとても嫉妬深いという。 (奥さんが嫉妬深いのか、たいへんだな、正木という人も) 幸左衛門の留守に、おますという娘が訪ねてきて、弟子になりたいと申し入れるが、女房おふ…

哀れで笑える相合傘

艶二郎という商家のドラ息子、男前とはほど遠い人物なのだが、浮き名を立てたいとカネにあかせてあれこれ企てる。 まずは、はやり歌のレパートリーを広げておこうと、これが数十曲。女たちからの艶書もほしいと、偽造して部屋の状差しにはさんでおく。さらに…

芭蕉が読み違えた其角の秀句

これも『猿蓑』の句。明治の俳人・内藤鳴雪が「其角集中第一等の傑作」と評したという。 この木戸や鎖のさゝれて冬の月 其角 「鎖」は「錠」と同じ。したがって中七の読みは、ジョウノササレテ。 其角はこの句の下五を「冬の月」とするか「霜の月」かで決め…

昼のミミズクのとぼけ顔

これも『猿蓑』の句。 木菟やおもひ切たる昼の面 芥境 ミミズクヤオモイキッタルヒルノツラ。 「おもひ切たる」は、悟りすました様ともいえるし、そんな境地は通りこしてただボケてるだけともいえるが、どちらかといえば後者に近く感じる。夜は猛禽のミミズ…

あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声

「あれ聞け」と誰が言ってるのかという宿題。 あれこれ考えたが結論だけ。 この句は語調のうえで次の箇所に切断がある。 あれ聞けと|時雨来る夜の鐘の声 けれどもこう切ったのでは、「あれ聞け」の発話者があいかわらず判然としない。そこで、次の箇所に意…