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二世澤村四郎五郎メモ

鶴屋南北『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』の冒頭、瀧夜叉役で出た澤村四郎五郎の台詞。

いささか望みあるゆえに、向かい町からはるばると忍び今度の顔見世に出世のツルとものした剣、うぬらに渡していいものか。邪魔だてせずとすみやかに、道おッぴらいて通すまいか。

画像データベースの付帯情報から拾った澤村四郎五郎の出演記録。
1810(文化07年03月) 市村座 八田平(楼門五山桐) (早稲田演博
1811(文化08年09月) 市村座 すしや弥左衛門(義経千本桜) (早稲田演博
1811(文化08年09月) 市村座 弁慶(義経千本桜) (立命館ARC
1812(文化09年09月) 市村座 時平公(菅原伝授手習鑑) (早稲田演博
1812(文化09年09月) 市村座 春藤げんば(菅原伝授手習鑑) (早稲田演博
1813(文化10年01月) 森田座 奥女中山の井(例服曽我伊達染) (早稲田演博
1813(文化10年04月) 森田座 三五兵衛(五大力恋緘) (早稲田演博
1824(文政07年01月) 市村座 寺岡丙右衛門(仮名曽我当蓬莱) (早稲田演博

『戻橋背御摂』は文化10年11月、市村座の顔見世公演。上の出演記録とあわせると、四郎五郎は一年間森田座にいて、このとき市村座にもどったか。台詞に「向かい町」とあるのは、森田座のある木挽町を指す。
べつの役者の台詞に、「向かい町」と「隣り町」があり、それぞれ葺屋町の市村座から見て離れた場所にある森田座、および隣接する堺町の中村座の意味で使われている。

Wikipedia にある二世澤村四郎五郎の略歴。
三代目澤村宗十郎の女婿、?–1832。
役者名は、荻野東蔵 → 澤村東蔵 → 二代目澤村四郎五郎 → 澤村東十郎 → 二代目澤村四郎五郎 → 澤村しやばく → 二代目澤村四郎五郎
屋号は川滝屋。

頼光四天王は境界の守護神

源頼光に従った「四天王」、渡辺綱(わたなべのつな)、卜部季武(うらべのすえたけ)、坂田公時(さかたのきんとき)、碓井貞光(うすいのさだみつ)は、土地の境界あるいは現世と異界の境界の守護神的な人物という説。以下、齋藤慎一『中世を道から読む』による。

渡辺綱は、淀川河口の渡辺を本拠として水運にかかわった渡辺党の祖とされる。渡辺という土地は、平安京から淀川流域において祓われたすべてのケガレが難波の海に流れこむのを見届ける重要拠点であり、境界に関係する人物として渡辺綱に着目できる。
主人の源頼光についても同様のことがいえる。頼光の屋敷は鬼の名所である一条戻橋の東詰めにあり、ここもケガレを流しこむ祓所であった。

卜部季武は、美濃国のある渡しで妖怪の産女(うぶめ)と渡りあったと『今昔物語集』に伝えられる人物。この伝えも渡し場という土地の境界にかかわる。
足柄峠に結びつけられる坂田公時(おとぎ話の「足柄山の金太郎」)、碓氷峠とかかわる碓井貞光(大蛇退治の伝説などが残っている)の二人は、いずれも京都から東国へむかう代表的な二つの峠に関係している。

頼光が四天王をひきいて酒呑童子を討った伝説も典型的。境界の魔所である大江山での鬼退治は、境界の守護者としての頼光一党の位置づけを反映している。

我がせこが来べき宵なり、ささがにの…

歌舞伎や人形浄瑠璃の「我がせこが来べき宵なり、ささがにの──」は、蜘蛛の妖怪の出現を告げるフレーズ。オリジナルは『日本書紀』允恭紀にある衣通郎姫(そとおりのいらつめ)の歌。

我が夫子(せこ)が 来べき夕(よい)なり ささがねの 蜘蛛の行ひ 是夕(こよい)著(しる)しも

今夜はきっとあの人が来てくれるにちがいない、笹の根もとで蜘蛛が巣を張っているからそれがわかるの──というほどの意味。蜘蛛が人の衣に着くと客が訪れるという俗信が中国にあったとのことで、それを踏まえた歌という。
同じ歌が『古今集』に「衣通姫(そとおりひめ)の独りゐて帝を恋ひ奉りて」として収められている。「帝」は允恭天皇を指す。

わがせこが来べきよひなり さゝがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも

日本書紀』の「ささがね」が、『古今集』では「ささがに」に変わっている。『書紀』では「笹の根」を意味していたものが、音の類似から「ささ蟹」と解され、「ささ」が「小さい」意を持つことから蜘蛛を引き出す枕詞(または蜘蛛そのものの意)に転じたらしい。

この恋歌を妖怪出現の前触れに転用したのが謡曲「土蜘蛛」。
病に伏している源頼光の枕もとに、見知らぬ僧形の者が現れる。じつは蜘蛛の妖怪である。

僧「月清き夜半とも見えず雲霧の、かかれば曇る心かな。いかに頼光、御心地は何と御座候ぞ
頼光「不思議やな、誰とも知らぬ僧形の深更に及んで我を訪ふ。その名はいかにおぼつかな
僧「おろかの仰せ候や。悩み給ふもわがせこが来べき宵なりささがにの
頼光「蜘蛛の振る舞いかねてより、知らぬといふになほ近づく。姿は蜘蛛の如くなるが
僧「かくるや千筋の糸筋に

僧の出現を怪しむ頼光に、僧が「愚かなことをいうものだ。そなたが病に苦しんでいるのは蜘蛛のせい──」と言いかけると、頼光は「そんなものは知らぬ」と返すのだが、僧は正体をあらわしてさらに近づき、蜘蛛の糸を投げかけて頼光を絞め殺そうとする。すでに「ささがにの」が蜘蛛の枕詞として定着していたとすれば、それを土蜘蛛に適用するのは途方もない発想というわけではないだろうが、きれいな転用だと思う。

次のビデオは歌舞伎作者初世桜田治助の舞踊劇「蜘蛛の拍子舞」。1分過ぎるあたりで蜘蛛の精が登場し、「我がせこが来べき宵なり」と歌がはじまる。  

近松門左衛門人形浄瑠璃関八州繋馬』が謡曲「土蜘蛛」を発展させたものであることは一昨日の記事で書いた。