謡曲「大江山」の一人武者

一人武者(独り武者)とは他にぬきんでた強い武者を意味し、人物の形容または代名詞的に使われる言葉なのだが、謡曲の「大江山」に出てくる一人武者には名前がない。

頼光「その主々は、頼光、保昌
供「貞光、季武、綱、金時
一人武者「また名を得たる一人武者
供「かれこれ以上五十余人

鬼神退治に向かう一行が謡曲大江山」の冒頭であげる名乗りによれば、主要メンバーは、源頼光、藤原(平井)保昌を筆頭に、碓井貞光卜部季武渡辺綱坂田金時のいわゆる頼光四天王、それに一人武者ということになる。他の人物がみな実名なのに、一人武者だけ代名詞的なのは何故か。
歌舞伎などで一人武者といえばたいがいは藤原保昌を指すが、この詞章ではあきらかに一人武者と保昌は別人。何者なのだ、この一人武者とだけ記された人物は。
謡曲「土蜘蛛」でも一人武者が、

これは音にも聞きつらん、頼光の御内にその名を得たる一人武者

と名乗る。「土蜘蛛」には藤原保昌が出てこないから、この一人武者が保昌であっても矛盾はないが、やはり一人武者とばかりで実名がないのは不審。

大江山」の一人武者とは何者か。ネットで検索したら、あっさり答が出てきた。すごいな、ネット。いや、それ以前に研究者のおかげなのだが。
で、こちらの論文「能《大江山》と『大江山絵詞』」によると、『酒呑童子物語絵詞』という絵巻に、

頼□□□□綱・公時・貞通・季武四人□□□□主従共に五騎也。保昌の□□□□宰小監ばかりなり

とあり、欠損はあるものの全体としては「頼光は四人の家来を従え、保昌は太宰少監だけを連れていた」と判断でき、一人武者の名称は保昌の家来が一人だけだったことに起因するという。
この太宰少監である保昌家来の実名は清原致信。のちに頼光の弟で「殺人上手」と言われた頼親に白昼襲われて殺害された。
古事談』が伝える話では、致信が襲われたとき、いっしょにいた妹の清少納言(当時五十歳ほど)も殺されそうになったが、陰部を見せて女であることを証し難を逃れた。

じつに「じつは」な『戻橋背御摂』

都の守護をになう源頼光の館に上使がやってくる。
頼光は病気で臥せっているため、かわりに奥方の園生の前が応対する。
上使は三田源太広綱と名乗り、頼光が所持する名剣、蜘蛛切りと鬼切りの二刀を差し出せと求める。刀は何者かに盗まれて館にはないのだが、園生の前は「後刻さしあげまする」とこたえて引き伸ばしをはかる。
あれこれあるうちに別の上使がやってきて、はじめの上使と同じ三田源太広綱を名乗り、同じ二振りの刀を求める。

二人の上使の真偽がつかないまま場面が変わって、接待の場になる。上使たちはそれぞれの好みでくつろいでいる。
上手の部屋では最初の上使Aが、長裃のまま鉢巻をしてあぐらをかき、茶碗酒を飲みながら、火鉢にかけた小鍋で料理をしている。
下手の部屋ではあとから来た上使Bが、やはり長裃のまま花盆に山茶花を生けている。 上使Bの部屋に腰元たちが世話をしにやってくると、Bは「女は嫌いだ、近寄るな」といって追い払う。
かわりに頼光の弟美女丸があらわれると、上使Bはごきげんになって美女丸に寄り添う。Bが美女丸のふところに手を入れると乳房が触れて、じつは美女丸は女とわかる。「女でもいいか」とBの気持がかわって、二人はその場でできてしまう。
上使Aの部屋では園生の前がみずから相手をする。酒を飲むうちに、園生の前は窮屈だといって緋の袴を脱ぎ、上使Aも裃を脱ぎ捨てて、この部屋でも二人はできてしまう。

上使A、じつは盗賊の首魁袴垂保輔。
上使B、じつは平将門の遺児将軍太郎良門。
園生の前、じつは用心のため頼光側が立てた代役で、武家のむすめ三崎。
美女丸、じつは頼光配下のむすめ小式部。
袴垂と三崎は、じつはいいなずけ同士であったことが判明して、婚姻の三三九度がはじまるが、そこにかつて袴垂と情をかわしたことのある田舎娘お岩が乱入して、
「ほんにマア、なんの因果で都へのぼり、つらい憂き目に逢うぞいな。やっぱり在所で麦畑の霜ふみつけがましじゃもの。情けない身になったわいナア」
と嘆くが、このお岩がじつは将門のむすめ七綾姫。さらにじつは、すでに前段の荒れ果てた古御所の場で、怪異な姿を現していた蜘蛛の精でもある。
いっぽう美女丸を装った小式部が将軍太郎良門に身をまかせたのは、じつは良門の正体を探るためであったのだが…

鶴屋南北の『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』は、文化10年(1813)に初演された顔見世狂言
あらすじがこちら(戻橋背御摂 - ArtWiki)にある。
ジャンルは通俗史書の『前太平記』から材料をとった前太平記物。このジャンルの基本型は将門残党と頼光ひきいる源氏方の戦いだが、『戻橋背御摂』ではこれに帝位を僭称する髭黒左大臣の一味、さらに盗賊として資金を稼いで天下を握ろうとする袴垂保輔の一味をくわえた四勢力の抗争が描かれる。
そのぶん人間関係もややこしく、しかも登場人物のうち三十人ほどは偽名で登場して、のちに本名を名乗ったり正体を暴露されたりする。初演時の座頭市團十郎は七役をつとめ、そのうち五役が偽名から本名をあらわす「じつは」な人物。七綾姫など四役を演じた岩井半四郎も、そのうち三役が「じつは」。
宝物の争奪も忙しい。蜘蛛切り・鬼切りの名剣、神璽の御宝、雄龍の印、相馬の白旗(繋ぎ馬の旗)、ささがにの巻物、照葉の鏡、薬師如来の尊像。忙しいというより、とりとめがない。劇の中で働きをする宝物もあるから、まったくのマクガフィンというわけではないのだが。
顔見世興行だから話の一貫性は二の次だが、それぞれの場はおもしろく、なかでも、山中の一軒家に諸勢力が集まってきてどたばたやる「栗の木村の場」や、上で一部紹介した「摂津介頼光館の場」などは、独立して上演しても耐えられる中身があり、無言劇の「花山古御所無言の場」も前段を多少おぎなえば一幕物にできる。

『四天王楓江戸粧』一条戻橋の場

袴垂の安(はかまだれのやす)を名乗る男娼が、

アゝ、寒い晩だワ。アゝ、人間は心がらだ。誰あろう平井の保昌が弟平井の保輔ともあろう侍が、どういうことか刃物を見ると、そぞろ髪の立つほど恐ろしくて、いまいましい病。(…)兄保昌が、役に立たずと見限って屋敷を勘当、今では小盗み、小働き(…)

と自分の身の上を嘆きながら、仕事場所の一条戻り橋のたもとに現れる。
さっそく薄明かりのなかで客の袖を引くと、相手は男。
そうと知った安は相手を引き寄せて絞め殺し、財布を奪って、死骸をそばの井戸に投げ込む。

「味な心になったから」と夫を亡くした女が男を求めてやってくる。夫の種を腹に残した産み月まじかの妊婦。
ところが安とともに小屋に入った女は、「こんな器量の若者が男娼とは」と同情して「買うのはやめた」とカネだけ渡し、さらに着てきた着物、帯までぬいで与え、来月子供が生まれたらそれもあげようと言って帰っていく。

やがて身分ありげな老女が現れる。打ち掛けのたもとを安が押さえると、それは母の幾野。「こいつはいられぬ」と逃げかかる安に、幾野は、

これ辻君殿、コリャそなたは年寄りにそちから遊んで行けと言いかけて、ここを逃ぐるは手がわるい。サ、遊んで行きましょうわいのう。

と迫る。安は逃げ腰だが、さらに幾野が迫ると、

ハイ、お遊びなされませ。お屋敷さまのお寝間にはむさい番屋の二畳敷き、掛川呉座に引ききりの枕二つは比翼連理、軒もる月を有明の川風寒き床入りも、ご承知ならばお婆さま、ちょっと遊んでくださりませサ。

『四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』は鶴屋南北を筆頭作者とする共作だが、上の「一条戻橋の場」は南北自身の筆と見るのが定説。南北らしい奇想と冗談にあふれた場で、ほかにも、政変で御所を追い出された公卿が新米の男娼として出てきて、

しからば小路にたちあかさん、のんしのんし。
立ち寄りたまえ、乙女の姿しばしとどめん。ヱゝ、なんすなんす。

と、いかにもそれっぽい口上で客を引いたり、坊さんに買われたその公卿が「尻はいやだ」と逃げ出したり、赤ん坊を抱いてやってきた子守むすめが「水揚げ」をしてもらっているあいだに、犬が赤ん坊をくわえて行ってしまうなどの笑いがつめこまれている。

ついでだが、南北は七五調もいい。浄瑠璃の作詞は人まかせだったらしいが、台詞の七五調には俗悪な抒情とでもいうようなものがあり、「ハイ、お遊びなされませ」以下などは読み返すたびに笑える。この引用箇所は流麗でもあるが、力強さが際立つのが南北の七五調。