謡曲「土蜘蛛」における胡蝶の不自然、およびその解決

病で伏せている源頼光のために、侍女の胡蝶が典薬頭からもらった薬を館に持ち帰る。
その夜、僧形の者が頼光の枕もとにあらわれて、見舞いを述べる。
頼光が怪しむと、僧は、
「そなたの病気は蜘蛛のせいではないか」
と言って蜘蛛の糸を投げつけ、頼光を絞め殺そうとする。
相手を化生の者と察した頼光が刀で斬りつけると僧は消えてしまうが、家来たちがその場に残された血の跡をたどっていくと、鬼神があらわれて、
葛城山に年を経し土蜘蛛の精魂なり」
と名乗る。
蜘蛛の糸を投げかけ投げかけて襲いかかる土蜘蛛の精に家来たちが反撃して、ついに土蜘蛛の首を切る。

以上が謡曲「土蜘蛛(つちぐも)」のあらましだが、侍女の胡蝶はただ薬を運んでくるだけで、存在意義がきわめて薄い。『謡曲大観』によると、このことは研究者のあいだでも早くから不審がられていたらしく、この程度の役ならこの人物は削ってしまってもいいとか、詞章に「色を尽くして」とあるのを、「いろいろ手をつくして病に対処した」との意味ではなく、「色仕掛けで」と解して胡蝶自身を土蜘蛛の精とすれば辻褄があうなどの説があったという。

この胡蝶に関する不審を、ある神楽団の上演では次のように解決している。

この神楽では、まず源頼光が登場して「典薬頭の薬を待っている」などと述べる。
ついで碓井貞光卜部季武が出てひととおり舞ったあと、頼光に見舞いを申し上げる。
頼光が隠れ、貞光と季武が引っ込むと、土蜘蛛が登場して、
「館へ帰る途中の胡蝶を殺して薬箱をうばった。胡蝶に姿を変えて頼光の館に乗り込むところだ」 と述べる。
これで胡蝶の立場が明確になり、しかも舞台に登場する必要がなくなる。この神楽が謡曲「土蜘蛛」の派生版であることは話の流れから明らかだが、謡曲における胡蝶の不自然を合理的に解決している。

17世紀末の成立かという通俗史書の『前太平記』は、胡蝶の名を削り、診察にきた典薬頭が薬を渡したことにして胡蝶問題を回避した。この書は謡曲「土蜘蛛」に拠りながら、文体を改めて史実らしく見せている。

近松門左衛門浄瑠璃関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)』では、謡曲や上の神楽とは逆に胡蝶が活躍する。
関八州繋馬』は謡曲「土蜘蛛」をベースに話を大きくふくらませたもの。近松が用いた材料は『平家物語』や『太平記』からも得られるが、それらからは「胡蝶」という名は得られない。発想の出発点は「土蜘蛛」と見るのが妥当。
この浄瑠璃の胡蝶は陰の主役というべき存在で、彼女の行為がきっかけとなり軸となって物語が展開する。館に入り込んだ敵方のスパイという正体を知られて殺されたあとも、胡蝶は亡霊となって登場し、終盤に至ってこの侍女が葛城山の土蜘蛛にとりつかれていたことが判明する。
この作も、謡曲における胡蝶の不備をうまく繕ったものといえる。

歌舞伎には河竹黙阿弥の舞踊劇「土蜘」がある。謡曲「土蜘蛛」の内容をほぼすべて取り込んだ上でふくらませたものだが、原曲の流れにすなおに従っているため、胡蝶の不自然さもそのまま残っている。