あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声

「あれ聞け」と誰が言ってるのかという宿題
あれこれ考えたが結論だけ。

この句は語調のうえで次の箇所に切断がある。

  あれ聞けと|時雨来る夜の鐘の声

けれどもこう切ったのでは、「あれ聞け」の発話者があいかわらず判然としない。そこで、次の箇所に意味的な切断があるとしてみる。

  あれ聞けと時雨来る|夜の鐘の声

これなら、発話者は時雨になる。「あれを聞け」と時雨が言っているのである。
この場合、「時雨来る」は動詞句だが、いっぽうで「夜」以下を修飾する形容句でもあり、いわば「時雨来る」が掛詞に似た働きをして前後のフレーズをつないでいる。

このように考えれば一句の意味は、冬の夜更け、時雨が軒を鳴らして過ぎて行き、それを追って鐘の音がわたってくる、というほどのものになる。
無難な解だが、こう解釈する長所は、「あれ聞け」の発話者としてその場の主人とか客とか句会の出席者といった者を想定しなくてすむこと。この一句には詞書もなく、どのような場で詠まれたかという情報もない。ならば、解釈は句に盛り込まれた情報だけで済ますほうがいい。

「ペケ」の語源

昨日の記事で利用した考証的随筆の『貞操帯秘聞』だけど、ほかの項目もざっとながめてみた。P.170に「ペケ」という言葉はフランス語の Piquer がなまったものだとあった。

この語は横浜のフランス商館から出たという。商館で輸出品を検査するさい、不合格品があるとフランス人の館員が「ス・ピケ」(Ce piqué)すなわち「これはいたんでいる」として除外していたのにはじまる、と。
また著者の通っていたフランス語学校では、文字や文法の間違いを「ピケ」として減点していた。

ちなみにコトバンクでは、

1 よくないこと。役に立たないこと。だめ。「あの案はペケになった」
2 罰点。×印。「ペケをつける」
[補説]あっちへ行け、の意のマレー語pergiから、あるいは、よくないの意の中国語「不可(bùkě)」からかともいわれるが未詳。

『江戸語の辞典』でもマレー語起源。

(マレー語ペッギ pergi の訛。横浜の居留地で外国商社との売買手合せが破談になることをいうに始まると)だめ。また、ばか。万延元年・縮屋新助三幕目「少しぺけさね。ト新助見て嘲笑ふ」

フランス語、マレー語、中国語と説はわかれるが、外国語起源ということでは共通している。

相合傘における男女の位置関係

国会図書館のデジタルアーカイブで公開されている下記の本に、相合傘のいたずら書きに関する考証的一節がある。P.69〜。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 貞操帯秘聞 : 民俗随筆

これによると、早期のいたずら書きでは、傘の柄の両側に(文字ではなく)似顔絵を描いていたとのことで、
   らくがきはあいあいがさの首ばかり
という句を例証にあげている。

もうひとつおもしろいのは、落書きでも浮世絵でも女性を右、男性を左に配置するものが圧倒的に多く、これは男尊女卑の現れではないかという指摘。その例として歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」にある落書きに言及しているのだが…。
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男尊女卑の現れとする説には疑問がある。
右・女性、左・男性という配置は、当事者の二人の関係でいえば男性が女性の右側にいることになり、著者は右をもって尊いとして男性優位の現れとしているのだが、右(見る側からは左)を優位とするのは、近代的な考え方ではないか。
というのも、江戸人に広く親しまれた歌舞伎の舞台では客席から見て右側(上手)が上座であるし、雛人形の飾り方でも左大臣が向かって右側に置かれる。また、右から左に進む日本語縦書きの原則に従えば、相合傘の落書きでは女性名が男性名よりも先に書かれることになる。いずれの場合も向かって右が左より上位にあるわけで、落書きや浮世絵における相合傘の人物配置は、逆に女性が尊重されていた例にもなるのではないか。

元記事:
- 相合傘メモ - Magazine Oi!
- 相合傘メモ(続き) - Magazine Oi!